機動戦士ガンダムSEED DESTINY #47「ミーア」

※撮り溜めを初見で感想を書いているので、現在から見ると見当外れの記載も多いと思われますが、どうぞご容赦をw


すげぇ・・・
ここに来て*1のミーア特集。「そんなことやってる余裕あるのか?」との疑問と共に、「どれだけ大事にされてたんだよ。」との深い感慨が。
シンに対しての扱いとの差は・・・


ミーア(ラクスを演じていないとき)の特徴である早口気味の口調で語られるミーア・キャンベルの心境の変遷。


ラクス様になれて嬉しい!」「やっぱりラクス様ってスゴイ!」


ラクス・クラインって、本当は何だったんだろう?」


自分の歌声や言葉が人々を、世界を動かしているのに、それを自分に対しても素直に誇ることが出来ない。それは自分が他人の姿を借りているから、人々が自分ではなく、ラクス様を見ているとどうしても思ってしまうから。常に、ミーア・キャンベルではこのような充足感は味わえないとの自覚がつきまとうから。
それならば、「わたしがやった。私がラクス・クライン。」と考えれば、同一性の問題は解消される。しかしそれでは「自分は本当は何者であるのか?」との疑問が新たに生じてしまうのではないだろうか。
遅かれ早かれ精神に変調を来していたのかもしれない。


これだけ酷い目に遭わせたからこその「追悼15分間」だったのだろうか。


満を持してデスティニー・プラン発表


「もう一つの敵と戦って行かねばならない」
「全ての答えは遺伝子にある!」
遺伝子教とも言うべき、遺伝子信仰を披露する議長だが、「人を知り、自分を知り、明日を知る」この人は見えない明日を迎えるのが不安で仕方なかったのかもしれない。タリア・グラディスとの幸福な日々が突然の終焉を迎え、再びの不幸が未来からやって来るのを待つしかないのかと、恐怖におののいたのかもしれない。来るべき明日を知ることが出来れば幸福になれるのではないかと。
そして、生命の設計図(?)たる遺伝子の神秘に光明を見いだしたのではないか。「ここに全ての答えがある!!」と。天啓に近いものを感じたのではないか。
やはり「神官」の名がふさわしい。


「誰もが皆、幸福に生きられる世界」
その内実はといえば、遺伝子によって定められた能力・役割に従った「相対的な、その人なりの幸福(本人が実感していなくても)」だ。貧富の格差があっても、「それはあなたの遺伝子レベルからすれば幸福のはずだ」と他人に決められる世界。
感銘を受けているシンが考えているであろう「絶対的な幸福*2」ではない。


ところで、このプランを実際に施行する場合はどのような手段を採るのだろうか?
予告映像に登場する「血液検査」シーン。まずは全人類の遺伝子チェック・データベース作成か。
とするなら、次に来るのは、遺伝子に基づく「レベル分け」ではないのか?能力・適性によって区分された人々を「合理的に」分類して(Aクラス、Bクラスとか)、完全分業社会が登場するのではないか。
大体こういう実験はエスカレートするもので、「どのような適性も持たず、能力的にも見るべきものがない」人々(ナチュラルに多いだろうが)は、「世界に貢献できない」とか言って、処分*3されてしまうのではないか。極端な科学的合理性に特化した社会ならば、例えば「面白いことを言って人を和ませる能力」や「そこにいてくれるだけで癒される能力」などは評価の対象にならない可能性もあるね。ツンデレとか委員長体質とかはどうかなw


いくら議長が絶大な支持を受けているからと言っても、必ず抵抗する人は出てくるだろう。しかし、力なき者達の反乱など鎮圧するのには容易い。「これが唯一の道だと言っているのに何故分からない」「遺伝子に欠陥があるのだ!」とか言い出すのではないか。
アークエンジェル党はどのように抵抗するのだろうか?


ブルーコスモスの「ナチュラル至上主義」ではないが、議長のこの「遺伝子至上主義」も宗教に近いよね。遺伝子研究の第一人者で、科学的根拠に基づいていると本人も思ってしまっているだけに質が悪い。
宗教的確信でしかない思想を、「科学的真理」であるかのように装う手法は現実の世界にも多数存在する。
私は遺伝子研究家ではないのでよく分からないが、遺伝子というものは宗教に目覚めてしまうほどの神秘性を秘めているのだろうか?

*1:あと3話!!

*2:そんなものが存在するのかどうかは知らないが

*3:イヤな言葉だな