恋風 #12-13(終)「春雷」「陽炎」

「どうして兄妹で好きになっちゃいけないんだろうね?」
これこそが本作の最大のテーマなわけだが、倫理によって感情を押さえることが可能なのか。そもそもそのようなことをする必要があるのか。


ガンスリもそうだったが、見ている人の倫理観に訴えるものがあったのだろう。「私が幸せかどうかは私が決めるの」(byクラエス)だったか(ちょっと不正確かも)。
世の中が変化して行き、実写ドラマ(非昼メロ)でも、不倫ものはしょっちゅうなのに、兄妹・姉弟ものは、まだまだ「世間様の倫理観とやらw」に合わないのか。
ただ、大概の結論は、悲劇で終わる、あるいは、悲劇が期待されていることが多い。きっと「自分は倫理に従って生きている」と信じる人々(それが多数派だろう)にとって、カタルシスや安心感が得られるのだろう。


本作を受け入れられなかった人、きちんと悲劇にしなかったことへの物足りなさを感じる人が少なからずいるのもそのためなのだろう。


やはり、本人たちや周辺の人々が納得できるなら、他人がとやかく言う問題ではないのではないか。たとえ、そのことで生き辛くなったとしても、それもまた本人たちが受け入れて生きていくということ。「近親良くない!」というものの、誰に迷惑をかけていると言うのか?その意味で、要姉さんは耕四郎への(自覚はあったのだろうが)想いが、あのような行動になったのでは、と思う。
私としては、自分たちなりの幸せを得た二人(数年後とか)のシーンで終っていても、受け入れることが出来たと思うし、下着クンクンやその他の行為を自白して七夏から大目玉、みたいなコミカルなラストシーンでも、多分大丈夫だったろう。


近親相姦(強制ではなく合意のもの)を公にする兄妹・姉弟がいたとしても、それが世の中にどのような影響を与えるというのか?「秩序が乱れる?そうかなあ」、と思ってしまう。はっきり言って、兄妹・姉弟で恋愛感情を持つ人たちが少数派であれば(多分そうだろう)、影響なんかないと思うよ。
「私が、あなたたち(兄妹・姉弟)をみて不快になるのです。」とか言われても、「そんなのあなたの勝手でしょ」としか言いようがないよ。
耕四郎があまりにヘタレなので、その辺(近親相姦の是非と耕四郎・七夏の関係)がごっちゃになってしまいそうで困るがw


よく「好きになった人が、たまたま妻子持ちだった」というのがあるが、不倫の場合には1対1の関係ではない。他者への影響を必然的に内在する。それに比べて、「たまたま兄妹・姉弟だった」というだけではないのか。経験者あるいは共感できる人間の絶対数が、「不倫(プラトニック・片想い含む)>>>>>近親」だからではないのか。「共感できない→キモい」という発想は危険だ。その短絡的思考で誰か、あるいはある集団を傷つけ、虐げているのではないかを常に省みる必要があると自覚させられた。


要姉さんとの対決シーン。生涯想い続けることへの甘さ、結婚相談所の所員がそんなことで良いのかとも思うが、やはり経験の差か。兄(同様の存在でも良いが)がいたりするのかな?


最終話では、どのようなラストシーンになるのかハラハラしてしまった。
友人たちとのすれ違い。妊娠エンド?とか。まあ、どちらにしろ双葉ちゃんには幸せになって欲しいな。
もう閉鎖される遊園地。苗字での相合傘。再びの桜吹雪の中で、来年(実現不可能な約束)を誓う二人。「じゃあな」。
まさか事故エンドじゃ?とか思っちゃったよ。


見終わって、深い感慨の残るアニメでした。
時間のとれるときに、一気に視聴できてよかった。